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行政の公害に関する調査・研究不足を国家賠償法上違法と評価し得るのか

公害訴訟において原告側の訴訟遂行上の問題となる点のひとつとして、立証の困難さがあります。その理由のひとつとして、特定の地域が特定時期に公害病が発生し得る程度に公害原因物質に汚染されていたことを立証するための時系列の環境測定データの入手困難さを挙げることが出来ます。大気汚染であれば大気中の公害原因物質含有量、水質汚染であれば海水中(湖水中)の公害原因物質量あるいは当該海域(水域)に生息する魚介類の有害物質含有量の測定値の時系列データは、特定の時期に特定の場所に居住していた住民が公害病を発症しうる程度に公害原因物質に曝露したことを証明する重要な証拠となり得ます。

しかし、継続的な定点の測量等の環境汚染状況の調査及びその調査に基づく公害に関する研究を個人あるいは民間団体がおこなうのは人的・金銭面・技術的側面あるいは調査権限の制約等から大変困難なことと言えます。そのようなこともあり、地域住民からは国及び地方公共団体により公害の実情に関する調査及び研究がおこなわれることを期待されますし、公害から住民の生命・健康を守るという観点から国及び地方公共団体には公害の実態調査及びその調査に基づく研究をおこなう義務があると考える人も少なくありません。尚、この文章では、裁判上の国の主張とそれに対する裁判所の判断について分析をおこなうことから、この文章では、「国」とは、国の機関から裁判所を除外した主に行政機関を意味するものとします。

それでは、このような期待に反し、国及び地方公共団体が公害に係る調査及び研究を懈怠した場合、国家賠償法上も違法と評価されるのでしょうか。

国及び地方公共団体に対し、一義的に当該公害の調査・研究を義務付ける具体的な立法がなされている場合には、国及び地方公共団体が当該調査・研究を懈怠すれば国家賠償法上も違法となり得ます。しかし、問題となるのは、当該公害の調査・研究を一義的に義務付ける立法がなされてはいないが、他の法律により適法に当該公害の調査・研究をなし得る場合、当該公害の調査・研究の懈怠という行政の不作為が国家賠償法上も違法と評価され得るかという点です。

この問題を考えるには、主に調査・研究の懈怠という不作為の違法性判断のフレームワークをどのように設定するのか(一般的な不法行為の作為の違法性と同様に判断し得るのか)という視点から考察するのが有益と考えられます。

不作為の違法性判断に関しては、いわゆるクロロキン事件の最高裁判所の平成元年11月24日判決では、

国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は、その権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使により被害を受けた者との関係において、国家賠償法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である

と判示しています。
そして、水俣病関西訴訟の最高裁判所平成16年10月15日判決では、クロロキン事件最高裁判所判決の上記部分を引用した上で、

昭和35年1月以降、水質二法に基づく上記規制権限を行使しなかったことは、上記規制権限を定めた水質二法の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、著しく合理性を欠くものであって、国家賠償法1条1項の適用上違法

とし、熊本県との関係では、

昭和34年12月末までに県漁業調整規則32条に基づく規制権限を行使すべき作為義務があり、昭和35年1月以降、この権限を行使しなかったことが著しく合理性を欠くものであるとして、上告人県が国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負うとした原審の判断は、同規則が、水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが、それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであると解されることからすれば、是認することができる

と判示しています。

このクロロキン事件と水俣病関西訴訟の最高裁判所の判決からすると、国及び地方公共団体の公務員の不作為が、実体法の保護法益を保護するための行為を国または地方公共団体の公務員がおこなわず、その不作為が著しく不合理と認定される時には国家賠償法上の違法性も認定され得ると考えられます。

それでは、次に不作為の根拠規定についてですが、近時では、水俣病患者を有害物質に汚染された魚介類を摂取した食中毒患者であるとし、水俣病患者の発生について,保健所長が食品衛生法に基づく調査・報告をせず,また、熊本県知事及び鹿児島県知事も同様な報告をせず,更に厚労大臣が各県知事に対して同法に基づく調査・報告を求めていないことが違法であるとし、食品衛生法に基づく水俣病の法定調査等の義務付け等を求めるとともに国家賠償法上の請求等を求めた訴訟があります(以下「食品衛生法事件」といいます。)。この訴訟は、保健所に水俣病患者を診断した旨を届け出た医師が原告として提起したものです。原告は、国家賠償法請求に関連して、東京地方裁判所に係属した第1審において、

水俣病の被害の全体像を把握するために不知火海沿岸住民の健康被害に係る実態調査が不可欠である・・・にもかかわらず,被告らの各行政庁は,本件各行為を行わないため,水俣病発生の公式確認から60年経っても摂食者数,患者数及び死者数を含む被害実態すら把握していない。こうした事態は,食品衛生法が,行政に対し調査及び報告を行うとともに被害拡大の防止策を講じるべき義務を課し,これらの措置を通して,国民の健康の保護を図ること,とりわけ食中毒の被害を受けた患者については迅速かつ適正な調査及び患者診定を受ける法的利益を保護することを趣旨・目的としていることに著しく違背する。
未申請又は未認定のまま放置されている膨大な潜在患者を掘り起こし,適正な患者確認を行うためには,本件各行為が行われる緊急の必要性があるというべきである。
食品衛生法58条の規定による調査及び報告がされるべきであることは,根拠法令である同条2項ないし5項の規定から明らかであり,また,同法60条の規定による調査及び報告の求めがされないことは,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たる
原告は,・・・水俣病患者を救済できない罪悪感・焦燥感・無力感に襲われ,業務義務を果たしていない責任感と一個人の力の限界を見せつけられた感じをもち・・・重大な精神的肉体的経済的な損害を生じている

と主張しています。これに対し国は、

食品衛生法58条の規定による調査及び報告並びに同法60条の規定による調査及び報告の求めは,その目的が専ら公益を保護するためのものであり,直接的に個別の国民との関係において,食中毒の発生実態や正しい病像を明らかにするものではなく,また,食中毒患者等を食中毒患者として認定するものではないのであるから,国家賠償請求との関係で原告が主張する各利益は,同法58条及び60条によって保護された利益とはいえない。そうすると,食品衛生法58条の規定による調査及び報告の主体である保健所長及び都道府県知事等並びに同法60条の規定による調査及び報告の求めの主体である厚生労働大臣は,原告との関係において,これらの各行為をすべき個別具体的な職務上の法的義務を負担しているとはいえないから,本件各行為がされないことが国家賠償法1条1項の適用上違法となることはあり得ない。

と反論しました。この点に関し、東京地方裁判所は平成28年12月7日の判決において、

国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり(最高裁平成25年(オ)第1079号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁等参照),同項における「違法」は,公務員がその行為によって損害を被ったと主張する者に対して何らかの職務上の法的義務を負っていることを前提として,その義務に違反した場合に認められるものと解される。しかるに,上記2に述べたとおり,本件各行為の根拠規定である食品衛生法58条及び60条の規定は,同法58条1項の規定による届出をした医師個人の個別的利益を保護すべきものとする趣旨を含むものとは解されず,また,これらの規定による調査及び報告並びに調査及び報告の求めがされ,又はされないことによって,上記の届出をした医師個人の権利又は法律的地位が侵害されるという関係にもないから,本件各行為を行う権限を有する被告らの各行政庁において,当該権限の行使又は不行使に当たり,原告に対する関係で,原告の権利ないし個別的利益の保護について配慮すべき職務上の法的義務を負うものではないと解するのが相当である。したがって,本件各行為を行う権限を有する被告らの各行政庁が本件各行為をしないことが,原告に対して負担する職務上の法的義務に違反するものとはいえず,原告との関係で国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできない

と判示しています。
更に、同事件の東京高等裁判所に係属した控訴審において、東京高等裁判所は平成29年7月12日の判決において、

食品衛生法58条及び60条の規定は,同法58条1項の規定による届出をした医師個人の個別的利益を保護する趣旨のものと解することができないことは原審が判断するとおりであり,控訴人の主張は採用できない

として東京地方裁判所の判断を支持しています。

行政機関の不作為の違法性に関して、国は、不作為行為を違法行為して提訴された国家賠償法請求において、「反射的利益」の主張をおこない違法性を否定することもあります。近時の水俣病訴訟においても国は、

国家賠償法1条1項の違法は,個別の国民に向けられた公務員の職務上の義務違反をいうのであり,公務員の不作為が,個別の国民に対する関係で国家賠償法上違法であるというためには,その者が主張する具体的利益がその権限の根拠を定める行政法規において保護されていること,すなわち,当該権限行使によって受ける国民の利益が,国家賠償法上保護される利益である(反射的利益ではない)ことが必要である。そして,根拠法令たる行政法規の目的が,専ら公益や他の法益を保護することにある場合は,当該権限を行使することによって利益を受けることがあったとしても,それは反射的にもたらされる事実上の利益(反射的利益)にすぎず,法律上保護される利益ではない。この法律上保護される利益の侵害が認められない場合,公務員の不作為によって損害を受けたと主張する特定の国民との関係で,その主張に係る利益を保護すべき行為規範を認めることができないのであるから,当該公務員が個別の国民に対し,職務上の法的義務として当該権限を行使すべき義務(作為義務)を負担することはなく,職務上の義務違反であるところの国家賠償法上の違法も認められない。

と主張しています。これに対し、当該事件が係属した東京地方裁判所は令和元年5月29日の判決において、

公務員による権限の不行使又は単純な不作為が国家賠償法上違法となるためには,権限の不行使又は単純な不作為によって損害を受けた被害者との関係で,当該公務員がその被侵害利益を保護するために権限を行使し,又は何らかの作為をすべき職務上の法的義務を負担していたことが必要となるというべきである(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成13年(行ツ)第82号,平成13年(行ツ)第83号,平成13年(行ヒ)第76号,平成13年(行ヒ)第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。そして,公務員が原告の主張する被侵害利益を保護するために権限を行使すべき法的義務を負っていたというためには,少なくとも,原告主張の被侵害利益が当該権限の根拠法令において法律上保護された利益であることが必要であるというべきであり,また,公務員が原告の主張する被侵害利益を保護するために何らかの作為をすべき職務上の法的義務を負っていたというためには,少なくとも,原告主張の被侵害利益が国家賠償法において法律上保護された利益であることが必要であるというべきである

と判示しています。

この、裁判所の判決を見ますと、裁判所は、「法律上保護された利益」という概念を用いて判断を導いており、国の主張する「反射的利益」という抗告訴訟上の概念は用いておりません。しかし、国の主張は、(ⅰ)ある行政の不作為が違法と評価されるのは根拠法令たる行政法規の保護法益を守るために必要な行為を行わなかった場合であり、(ⅱ)根拠法規が専ら公益や他の法益を保護することにある場合には違法と評価されないとするものであり、期待される作為行為と法規の関係が(ⅱ)の場合には、期待される作為行為により得られる利益は根拠規定との関係ではⓐ「反射的利益」に過ぎないとするものです。尚、国は、「国家賠償法上保護される利益である(反射的利益ではない)」と主張していますから、「反射的利益」は、国家賠償法上保護される「根拠法令たる行政法規の保護法益」の集合の補集合の全部あるいは一部であると考えられます。

ここで、裁判所の用いたⓑ「法律上保護された利益」を国の主張(ⅰ)の「根拠法令たる行政法規の保護法益」と同じと仮定すれば、「反射的利益」は「法律上保護された利益」ではないものの内、一定程度根拠法規と関係があるものといえます(根拠法規と全く無関係な行為は「反射的利益」すら享受するといえず、全ての行為に対して「反射的利益」が及ぶとは言えないと考えられます。)。このように考えると、「反射的利益」と「法律上保護された利益」とは対概念とも言えそうです。ただし、実際には、後述の通り、裁判所は事案によっては「法律上保護された利益」の範囲を広げて一定の妥当な結論を導いています。このことから、国がその主張に用いる「根拠法令たる行政法規の保護法益」の範囲と裁判所の「法律上保護された利益」の範囲は異なるものと言えます。本来、「根拠法令たる行政法規の保護法益」と「法律上保護された利益」は一致しそうですが、裁判所はあえて行政事件訴訟法第9条と関係する「反射的利益」の用語を避け、解釈の裁量が広がる「法律上保護された利益」という概念を用いることにより、具体的事件ごとに「法律上保護された利益」の範囲を伸縮させることにより妥当な結論を導く余地を残しているとも考えられます。そうすると、「法律上保護された利益」の範囲は「根拠法令たる行政法規の保護法益」と比較して同じかあるいは若干広くなると考えられます。しかし、いずれにしましても、国家賠償法上の違法性の判断において、ある被侵害利益に法律上の要保護性が認められるためには、一定の保護範囲内(裁判所は「法律上保護された利益」がその保護範囲を画するとし、国は「根拠法令たる行政法規の保護法益」がその保護範囲を画するとしています。)に被侵害利益が包含されることが必要であると言えそうです。

そこで、国の主張と裁判所の判断基準との関係は、裁判所が採用している「法律上保護された利益」に関して、「法律上保護された」とする時の「法律」とは行政に特定の行為を義務付ける実体法の特定の条文が存在することを前提とするのか、あるいは信義則等の一般条項により解釈から導き出されるものまで含まれるのかという点に大きく依拠しているものと考えられます。また、これは、上記で提示した「調査・研究の懈怠という不作為の違法性判断のフレームワークをどのように解するのか」という視点の検討に繋がるといえます。

この点について検討を進めます。
熊本地方裁判所の昭和62年3月30日の判決では、

行政法規の趣旨、目的が、第一次的には個々の国民の生命、健康を守ることにはなかつたとしても、当該法規が間接的究極的には、個々の国民の生命、健康の安全確保を目的としており、他に右緊急事態に即応する適切妥当な行政法規がない場合にも、緊急避難的に当該法規を適用して重大な危害を防止及び排除すべき義務があるものというべく、右義務に対応する規制権限を有するものと解するのが相当である。行政庁は、個々の国民の生命、健康の重大な危害が切迫している場合、積極的に右危害の発生を防止及び排除するのに役立つ各種法規の規制権限を行使し、強力な行政指導を行う等できる限りの可能な手段を盡して危害の発生を防止及び排除の措置をとるべき義務があるものといわねばならない

と判示されています。この判決からすると、一定の行為をおこなうことに裁量を与える法律(条文)が存在する場合、国民の生命、健康の重大な危機が切迫している時には、当該法律の直接の目的(保護法益等)と異なっていても、当該行為をおこなうことにより当該危機を回避し得るのであれば、一定の条件の下では行政は当該行為を行う義務があるということになりそうです。尚、この判決に関しては、ある行為を行政が行うかについて一定の裁量が認められている場合でも、一定の条件の下ではその裁量の範囲が収縮していき、結果として当該行為が義務づけられることがあるとする「裁量権収縮論」を採用しているといわれています。

一方、水俣病関西訴訟の上告審では、国及び熊本県の不作為行為を国家賠償法上違法と認定していますが、その判決では「同規則が、水産動植物の繁殖保護等を直接の目的とするものではあるが、それを摂取する者の健康の保持等をもその究極の目的とするものであると解される」としていますので、熊本地方裁判所の昭和62年3月30日の判決とは異なり、根拠法規の目的の範囲を広げて解釈することにより、「法律上保護された利益」の範囲を広げることにより不作為行為の違法性を認定しているといえます。

このように、熊本地方裁判所の昭和62年3月30日の判決と水俣病関西訴訟上告審の判決は、国及び地方公共団体の不作為を違法と認定する結論は同じですが、その結論を導くフレームワークは異なっています。熊本地方裁判所の昭和62年3月30日の判決は、水俣病公害の防止あるいは解消に資すると考えられる行為(以下「措定される行為」といいます。)を水俣病被害防止・解消のためにおこなうことを許容している法令は、具体的状況においては、水俣病被害防止・解消のための具体的行為の不作為を違法と評価する根拠となり得るとしています。これは、措定される行為をおこなうか否かについて行政は一定の裁量を有しているものの、特定の条件の下ではその裁量が収縮して措定される行為をおこなわないことは違法と評価され得るとするものです。その上で、水俣病被害の場合には裁量が収縮し、措定される行為の不作為の違法性を認定し得るとするものと考えられます。根拠法規の目的の範囲を広げ、根拠法規が直接措定される行為を義務付けていると考えているわけではありません。

一方、水俣病関西訴訟では、作為義務の根拠となり得る法規の保護法益を広く解釈し、行政に対して行為を義務付ける範囲を拡大することにより、措定される行為の不作為は当該法規が義務付ける作為義務に反するので違法性を認定し得るとし、本件事案でも国と熊本県の違法性を認定したものと考えられます。

この解釈からすると、熊本地方裁判所の昭和62年3月30日の判決の判断フレームワークを採用すると、国及び地方公共団体の違法性判断の根拠となり得る法規の範囲としては、当該法規が措定される行為を義務付けているところまでは要求せず、当該行為を許容している法規まで含むこととなります。一方、水俣病関西訴訟上告審判決のフレームワークによれば、措定される行為の作為義務を定めている法規のみが違法性判断の根拠規定となり得るということになります。

近時の新潟水俣病訴訟の第1審において新潟地方裁判所は、

Ⓐ 原告らは,被告国及び被告県は,昭和34年11月末又は遅くとも昭和38年10月頃若しくは昭和39年8月頃までの時点で,被告昭和電工及び阿賀野川流域の住民に対して,工場排水や阿賀野川の魚介類の捕獲・摂食について行政指導を行う法的義務があったのにこれを怠った旨主張する。しかし,かかる行政指導を行う法令上の根拠は見当たらない。

とした上で、

Ⓑ  また,前記1(2)ないし(4)記載の事実関係や当時の科学的知見並びに被告国及び被告県の認識状況に照らすと,被告国及び被告県が,昭和34年11月末又は遅くとも昭和38年10月頃若しくは昭和39年8月頃までの時点で,阿賀野川の魚介類の危険性やその原因物質の排出源が被告昭和電工鹿瀬工場の工場排水であることを認識し,又は容易に認識することが可能であったとは認められない。

Ⓒ そうすると,被告国及び被告県が,当時,原告らが主張する行政指導をしなかったことが,国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできない。

と判示しています。ⒶからⒸの結論を導いていることからすると、水俣病関西訴訟と同じ判断フレームワークを採用して、違法性が認定できるか否かを法規の目的の範囲から導いているといえます。しかし、そうだとすれば、Ⓑの判断は不要であるはずだとの指摘もなし得ます。

一方、新潟水俣病訴訟控訴審判決で、東京高等裁判所は、

(ⅰ)国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法1条1項の適用上「違法」となると解すべきであって,この判断枠組みは,既に判例法理として確立されたものである。

(ⅱ)そして,当該規制権限の行使に裁量が認められている場合,規制権限不行使を理由とする国家賠償法1条1項の違法性の判断に当たっては,上記判断枠組みに立った上で,法が当該規制権限の行使を行政庁の裁量に委ねた趣旨・目的,裁量の幅の大小,規制の相手方及び方法についての法の定め方を踏まえ,当該規制権限の不行使の前後にわたる一切の事情を評価の対象としたならば,規制権限の不行使が著しく合理性を欠くと評価される場合に限って,国家賠償法1条1項の適用上「違法」とされるべきである。

とし、更に行政指導の不行使の違法性の判断に際し、

(ⅲ)法律の根拠に基づかない行政指導は,その内容,時期,方法等につき,当該公務員の極めて広範な裁量に委ねられている。殊に規制行政の分野に係る行政指導の実施は,法律による行政の原理に抵触するおそれがあるから,行政指導を実施することが,個別の国民に対する関係において,職務上の法的義務となるような事態は容易には想定し難い

と判示しています(尚、行政指導は1993年に行政手続法で定義が規定されています。)。(ⅰ)の「その権限を定めた法令の趣旨,目的」という判断基準及び(ⅲ)の「法律の根拠に基づかない行政指導は・・・当該公務員の極めて広範な裁量に委ねられている」という箇所からは、措定される行為を目的とする法令でなければ、当該法令を措定される行為の不作為の違法性判断の根拠とすることは困難であると考えられ、信義則、権利濫用等の一般条項から措定行為の作為義務を導き出すことも困難であると思われます。

そうすると、近時の公害訴訟の主流としては、不作為の違法性の根拠規定と関連する「法律上保護された」という概念の「法律」とは、措定行為の作為義務を定める法令であると考えられます。更に、信義則等の一般条項により導き出される行為を措定行為の作為義務の根拠として主張して不作為の違法性を主張し、それが認められるのは困難であると考えられます。

それでは、措定行為の作為義務を定める法令が存在する場合、どのような状況において措定行為の不作為は違法と認定されるのでしょうか。

この点、本文章の冒頭において述べたように不作為行為も著しく不合理と認定される時に国家賠償法上の違法性も認定され得ると考えられます。
上記で引用した新潟水俣病訴訟控訴審の(ⅱ)にも引用されている「規制権限の不行使が著しく合理性を欠くと評価される場合に限って,国家賠償法1条1項の適用上「違法」とされるべきである。」という箇所からも「著しく合理性を欠くと評価される場合」に限って違法性が認定されるという高いハードルが採用されているといえます。ここで、国家賠償法を民法の不法行為に近づけ、民法の不法行為法で通説的地位にあった相関関係説の違法性の考え方をとり、違法は被侵害利益と侵害態様の相関関係で決まると考えると、被侵害利益が相対的に要保護性の低い権利である場合、行政の不作為が裁判所で違法と認定されるのは相当困難ということになります。しかし、被侵害利益が一定程度要保護性の高いものであれば、「法律上保護された」利益の侵害として不作為も違法と判断されると考えられます。

ただ、ここで更に問題となるのは、同じく新潟水俣訴訟控訴審判決の上記㋒の「殊に規制行政の分野に係る行政指導の実施は,法律による行政の原理に抵触するおそれがあるから」と絞りを掛けている箇所です。法律による行政は、「一般的には、国民の権利又は自由を侵害する行政作用については必ず法律の根拠を必要とするという趣旨に解されている」(有斐閣:法律用語辞典第4版1055頁)ことからも、上記の新潟水俣訴訟控訴審判決の上記㋒が問題とする「規制行政の分野」として、個別の国民に対する関係において,職務上の法的義務となるような事態は容易には想定し難いのは、国民の権利・利益を制限する「殊に規制行政の分野に係る」場合のことであるといえます。しかし、措定される行為が水俣病患者の規制となることは少ないと思われますから、専ら公害被害者以外の第三者の権利・利益侵害との関係を問題としていると考えられます。そこで、第三者の権利・利益侵害が問題となり得る場合には、法律による行政の要請が前面に出ることとなり、水俣病被害者救済の要請と第三者の権利侵害との間の利益衡量の検討に際して措定される行為の有益性と第三者への権利侵害及び法律に基づく行政の要請等との間の複雑な衡量は必要となると考えられます。そうすると、第三者の権利・利益侵害が問題となり得る場合には利益衡量に際し行政の裁量の範囲が広くなり、行政の不作為が違法となり得る範囲は狭くなると考えられます。
そこで、違法性の判断は、第三者の権利等の他の要素に影響されると考えられます。措定される行為が第三者の権利侵害が問題とならないような場合には、相対的に保護の要請が低くとも「法律上保護された利益」となり得ると考えられます。

それでは、国・地方公共団体の公害の調査・研究(以下本項において単に「調査・研究」という。)により第三者の権利が侵害されるのかを検討してみます。
まず、公害が公害の原因企業(以下「原因企業」といいます。)の工場からの公害原因物質を含む排出物による環境汚染の場合、調査・研究が原因企業への立入りあるいは原因企業への資料の提供を求めるものであれば、原因企業の財産権(知的財産権等)等を侵害する可能性も考えられます。また、公害が自然環境の汚染を通じて公害地域で栽培される食物あるいは漁獲される魚介類も公害原因物質に汚染させれていれば、それが明らかになれば農産物あるいは魚介類の販売不振・販売制限につながり、農業者の財産権あるいは漁業関係者の漁業権等の侵害につながる可能性も考えられます。
しかし、公害による自然環境の汚染状況の汚染状態の測定は、公害原因企業の工場外の調査なのですから、公害原因企業の権利を侵害するものとは考え難いと思われます(仮に公害原因企業の排出物が公害原因企業の知的財産権に関係するとしても、公害原因企業の意思により工場外へ排出された以上、排出物へ財産権の正当な保護が及ぶとは考え難いと思われます。)。また、工場外の土壌調査あるいは海水の公害原因物質含有量の検査を行う行為が農業者の財産権あるいは漁業者の漁業権を直接侵害する行為とは考え難いし、仮に検査の結果、土壌あるいは海水の汚染状況が明らかになって、当該地域の農産物あるいは魚介類の販売に何らかの影響が生じたとしても、当該影響は検査により引き起こされたものではなく、公害原因企業により公害原因物質が排出されたことによるものなので、原因企業の工場外の土壌・海水検査等による公害発生地域の汚染状況の調査が農業者の財産権あるいは漁業者の漁業権等の侵害に関係するとは言い難いと考えられます。
次に、公害の研究に関しては、公害原因企業から研究資料の提出を求めること、あるいは、公害原因企業への立ち入りを伴う資料収集は公害原因企業の権利との衝突が生じ得ますが、公害原因企業以外からの資料収集あるいはその資料に基づく実験・研究は公害原因企業の権利を侵害するものではありません。一方、農業者及び漁業者との関係でも公害の研究をおこなうことは、何ら農業者及び漁業者の権利を侵害するものではありません。
これらのことからすれば、調査・研究において第三者の権利との調整は殆ど問題となり得ないのですから、行政の不作為の違法性判断において、法律に基づく行政の要請はあまり問題とならず、もっぱら、公害被害者側の状況から行政の不作為の裁量の範囲は判断されるものと考えられます。

以上のことから、公害の調査・研究を1993年に行政手続法で定義が規定される前の行政指導に近づけて考えれば、具体的な調査・研究義務を規定する法令が存在しなくとも公害被害者側の状況によっては違法性の判断を成しうると考えられます。

しかし、1993年前の行政指導に近づける立場を取らない場合、近時の主流のフレームワークからすると、具体的な調査・研究義務を規定する法令が存在しなければ違法性の認定は困難であると考えられますが、ただ、法令の保護法益の範囲を広く解釈できれば、その法令の求める調査・研究義務の範囲を広げ、その場合、違法性の認定を成しうるとも考えられます。

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