公害被害者の救済措置申請と訴訟要件について

公害訴訟提起時の疑問

公害被害者の救済立法に基づく具体的な救済措置が講じられており、公害被害者がその救済措置への申請をおこなっていた場合、申請をおこなった公害被害者は訴訟を提起できなくなるのでしょうか。
この問題は、具体的には救済措置の位置付け及び救済措置の申請から救済措置(解決金の支給、療養費の支給など)までの過程における行政及び公害被害者がおこなった手続き・意思表示などの事情によって結論が異なってくるものと考えられます。
この問題を考えるにあたり、我が国の代表的な公害のひとつである水俣病において、救済過程でどのような手続き・意思表示などがなされ、その手続き・意思表示が訴訟要件にどのような影響を生じさせているかをみてみます。

水俣病被害者救済措置と訴権放棄について

水俣病を対象とする公害被害者の救済措置としては、昭和44年に公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」といいます。)が制定されています。しかし、水俣病第1次訴訟などの結果を受け、あらたに公害健康被害の補償等に関する法律(以下「公健法」といいます。)が制定されることとなり、救済法は廃止されました。
この公健法の制定後に提訴された水俣病関係の義務付け訴訟は、公健法の認定義務付けに関するもので、公健法の義務付け訴訟自体は訴訟要件をみたす適法なものと考えられ、最高裁でも当該訴訟に対し、実質的な判断が下されています(最判平成25年4月16日(F氏訴訟の上告審)参照)。近時の熊本地判平成27年3月30日(溝口訴訟第1審)においても、

原告の訴えのうち、処分行政庁に対し、公健法25条1項に基づく障害補償費の支給決定の義務付けを求める部分は、行訴法3条6項2号の義務付けの訴えに該当する

と判示されてもおり、公健法の義務付け訴訟が訴訟要件を充たし、適法に提起し得ることは疑いがないものと考えられます。
一方、平成21年に制定された水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(以下「特措法」といいます。)の義務付け訴訟は現時点で確認している範囲では提起されていないようですが、訴訟要件を充たすのかについては疑問の余地がないわけではありません。
そこで、特措法に基づく救済措置の申請をおこなった人が、裁判での救済を求めようとすると、国家賠償法1条に基づく損害賠償請求をまず検討することとなりそうです。

ところで、特措法の救済措置としては、一時金の支給、療養手当の支給及び被害者手帳と呼ばれる療養費負担を得られる手帳の交付(3つの支給・交付を受けた申請者を以下、「一時金等対象者」といいます。)、あるいは被害者手帳の交付のみ(以下被害者手帳の交付のみとされた申請者を「療養費のみ対象者」といいます。)があります。
ところが、特措法の一時金及び被害者手帳の交付の申請をおこなうに際しては、訴権の放棄及び債務免除の合意に同意することが条件となることが官報で公告されています。そして、公害被害者は、特訴訟の申請をおこなうに際しては、その「救済措置の方針に基づき申請する」と記された給付申請書を申請者から申請県に提出することとなっています。
そこで、この申請書の提出により国及び申請県と申請者の間に「不起訴の合意及び債務免除の合意」(以下「不起訴合意」という。)が成立しているのではないかが問題となります。
申請者は特措法の申請時に、

私は、救済措置の方針(平成22年4月16日閣議決定)に基づく一時金、療養費(医療費の自己負担分)、療養手当の給付を申請します。

と不動文字で印字されている「給付申請書」に署名・押印して提出しています。そして、平成22年4月16日閣議決定の「3.その他」の(4)には、

既に水俣病に係る補償又は救済を受けた方及び補償法第4条第2項の認定の申請、訴訟の提起その他の救済措置以外の手段により水俣病に係る損害のてん補等を受けることを希望している方は、一時金等対象者又は療養費対象者となることはできません。また、一時金等対象者となる方は、今後ともこれらの手段を取らないように約束していただきます。水俣病被害者手帳の交付を受けながらこれらの手段を取ることができないことも同様です。

とされています。
更に、環境省が特措法の申請受付時の申請者への配布を目的として作成した「水俣病被害者の方への給付の申請手続きについて」というリーフレット(以下「給付申請手続きリーフレット」という。)の12ページ本文には、「次の囲みの中のいずれかに該当する方については、給付の対象となりません。」とあり、当該ページ下部の囲みの中には「水俣病に係る認定に関する処分の取消の訴えを提起している方」及び「水俣病にもみられる症候に関して損害賠償を求める行為をしている方」などが列挙されています。続いて12ページ本文において、

給付を受けるためには、水俣病の認定申請や訴訟の取り下げなどの手続きをとっていただく必要があります。一時金等の給付の対象に該当する方は、今後ともこれら水俣病の認定申請などの手段をとらないように約束していただきます。水俣病被害者手帳の交付を受けながらこれらの手段をとることができないことも同様です

と記されています。
これらのことからすると、特措法の一時金等対象者はもとより、療養費のみ対象者も不起訴の合意をしているとなり得るのかもしれません(尚、検診の結果不該当となり一時金のみならず水俣病被害者手帳の交付すら受けられなかった申請者は不起訴合意をしているとは言い得ませんので訴訟要件の充足を判断するに際し、特措法の申請をおこなったことが影響することは考えられません。)。
もし、そのように考えるのであれば、特措法の療養費のみ対象者は、義務付け訴訟、損害賠償請求訴訟のいずれにおいても訴訟要件を充たすことが出来ず訴訟を提訴しても請求却下となり得ることになります。
しかし、公害被害者が訴訟を提起する訴権は憲法上保障された重要な権利でもありますので、不起訴合意が申請者と国及び申請県(以下両者をあわせて「国ら」といいます。)との間で法的に成立しているのかについては慎重に検討する必要があります。

ところで、このような公害被害者の救済を目的とする手続における不起訴合意なるものが、どのような法的性格を有するものであるかは必ずしも明確ではありません。そこで、特措法の一時金等対象者あるいは療養費のみ対象者と国らとの間に不起訴合意が成立しているかに関しては、その不起訴合意なるものの法的性格から検討する必要があります。
ここでは、①不起訴合意は行政行為なのか行政契約なのかという合意の法的性格、②(①が行政契約であるのであれば)不起訴合意に向けた申請者及び申請県の意思表示が存在しているか、仮に存在していた場合に③不起訴合意は有効に成立し得たか、また、④その他の不起訴合意の効果発生を阻害する事情がないかの順に検討してみます。

救済措置申請時の不起訴合意の法的性格について

まず、申請県が給付申請者に対し給付申請時に訴権を喪失させる処分をおこなっていると考え、処分を行政行為と考えるのでしたら、申請者の不起訴合意に向けた意思表示の存否・有効性はさほど問題とならず、行政処分としての当該処分の適法性・妥当性を検討することになると考えられます。
しかし、㋐特措法は具体的な救済措置に関し委任立法の形式を採用していないこと、㋑救済措置による救済は何ら合意を強制するものではないことからすると、不起訴の合意は非権力的な私法上の行政契約から生じているものであり、不起訴合意の効力は私法上の効力であると考えられます。
特措法の救済措置は水俣病被害者の被害回復方法として排他的なものではなく(特措法の申請をせずに最初から損害賠償請求を行うことは何ら制約されていません。)、国らが不起訴「合意」を強制しているわけではないこと及び下記に触れますが申請時の各種書類に「約束していただきます」といった言葉が使われていること等からしても、行政行為ではなく私法上の行為としての行政契約と解するのが素直であると思われます。
ここでは、不起訴合意は私法上の効果であることを前提に検討を進めることとします。

不起訴合意に受けた意思表示の存在について

次に、不起訴合意に向けた意思表示の存在の有無を検討することとなりますが、これに際しては、ア.給付申請書の文言、イ.給付申請書提出時の通常の申請者の意思を順番に検討することとします。

給付申請書の文言について

特措法の申請をおこなう者は、

私は、救済措置の方針(平成22年4月16日閣議決定)に基づく一時金、療養費(医療費の自己負担分)、療養手当の給付を申請します。

と不動文字で印字された給付申請書を提出しています。そして、「救済措置の方針(平成22年4月16日閣議決定)」(以下本項において「閣議決定」という。)には、上記⑵に触れたように

既に・・・訴訟の提起その他の救済措置以外の手段により水俣病に係る損害のてん補等を受けることを希望している方は、一時金等対象者又は療養費対象者となることはできません。また、一時金等対象者となる方は、今後ともこれらの手段を取らないように約束していただきます。

とされています。そうすると、この給付申請書の提出をもって、閣議決定の救済楷置の方針の枠組み、すなわち不起訴合意による不利益を申請者は承認した上で、救済措置の方針に基づく救済対象者となることを受け入れて救済措置の方針に基づく給付の申請をする意思を申請者が明らかにしたと考えることも可能にも思われます。このように考えると、形式的には不起訴合意を受諾する申請者の意思表示が存在するようにも思われます。
しかし、閣議決定では、その「3.その他」において

(3)一時金については、関係事業者、国及び関係県との間で争いのある状態を終了させ、今後とも争わない旨の協定を関係事業者との間で締結の上、支給するものとします。

と不起訴合意につながる記述がなされていますが、「2.水俣病被害者手帳」の項には、このような不起訴の合意につながる記述は存在しません。このことからすると、一時金の支給には不起訴合意が前提となるが、水俣病被害者手帳の交付(療養費のみの支給)には不起訴合意は前提とはなっていないと解釈する余地がないわけではありません。
更に、給付申請書には「一時金、療養費(医療費の自己負担分)、療養手当の給付を申請します。」と記述されているのであり、「一時金、療養費(医療費の自己負担分)及び療養手当または療養費の給付を申請します。」と記述されているわけではありません。この給付申請書の文言からしますと、申請者は、一時金、療養費及び療養手当の3種類の補償をセットで求めているのであり、療養費のみの支給を求めているわけではないと言い得ます。このことからしますと、療養費のみの支給はこの給付申請書の射程外であると考える余地がないわけではありません。
このように、給付申請書の文言からすると、一義的に不起訴合意に向けた申請者の意思表示が申請時に包括的(補償内容にかかわらず)になされていると断定するのは出来ないようにも思われます。

給付申請書提出時の通常の申請者の意思について

次に申請者の意思を検討しますが、ここでは、(ア)給付申請書の提出のタイミングと(イ)給付申請書の文言及び閣議決定の一般人の認識可能性が問題となります。

特措法の補償には、検診の結果を受けた認定審査会の判定の結果により㋐一時金、療養費(水俣病被害者手帳の交付 )及び療養手当の3種類の補償をセットで給付される場合と㋑療養費(水俣病被害者手帳)のみ交付される場合があることはこれまでも述べたところです。しかし、給付申請書の提出は検診の前に行われますので、申請者は給付申請書の提出時には、㋐の給付なのか㋑の給付なのか(あるいは㋐、㋑いずれの給付もなされないか)分かっておりません。また、㋐の申請のためにだけ(㋑の対象と判定されるのであれば給付の申請をおこなう意思はない)の給付申請を行うことは出来ません。そうすると、申請者の意思としては、㋐の給付を受けるためには不起訴合意を受諾せざるをえないと考えていますが、㋑の給付だけの場合にまで不起訴合意を受諾する意思は有していないと考える余地もあることとなり得ます。
この場合の申請者の合理的意思をいかに捉えるべきなのでしょうか。この問題を考えるにあたり、まず、特措法の給付申請書を提出する際、合理的に考えていかなる補償を受けることを期待しているかという点について考えてみます。
水俣病被害者手帳による療養費の補償は、通常の保険適用の治療を受けた場合に自己負担分を補填するというもので、医療機関等において自己負担で治療を受けた場合にのみ申請者にとって経済的利益である実際の補償が得られるものです。そこで、一定数存在する病院等の医療機関に死の直前まで殆んど掛からない人からすれば水俣病被害者手帳は経済的価値のあるものとは言い得ないこととなり得ます。一方、一時金支給対象者となれば、確定的に一時金の金額分の経済的利益を得られることとなります。
民法では、損害賠償は金銭賠償が原則とされており(民法417条)、公害被害においても同様であると捉えていた者も相当人数いたものと考えられます(勿論、謝罪要求を否定するものではありません。)が、そのような人からすると、水俣病被害者手帳が一時金のように直接金銭を支給されるものではないことから、水俣病被害者手帳の交付は損害賠償に代わりうる補償ではないと考えてもおかしくないこととなります。
このような事情からすると、一時金、療養手当と療養費の3つの補償を受けることを期待し、療養費のみならず一時金も支給されるのであれば、その後の更なる補償は断念すると考えた申請者も相当数存在していたとも考えられます。しかし、申請の結果、療養費のみ対象者となり、被害者手帳の交付のみを受けるようになった場合にも、その後の更なる補償を断念しようと考えていたと措定するのは些か困難であると言い得ます。
そうすると、申請者の合理的な意思からは、申請者が㋑の支給対象となることを前提として給付申請書を提出していたと考えるのは困難であり、不起訴合意に向けた申請者の意思表示は㋑の支給対象となる場合にまで及んでいないものと考えるのが妥当かと思われます。
しかし、ここで問題となるのは、申請事務のフローとして、㋑の給付対象と判定された申請者は、判定後、実際に交付を受ける前に

私は、水俣病被害者手帳(療養費のみ)の交付を希望しますので、水俣病被害者手帳(療養費のみ)の交付決定をお願いします。

と記載された交付願を提出することとなっていたことです。この交付願の文言をもって、交付願の提出時に療養費のみ対象者に不起訴合意に向けた意思表示の追完があったと解する余地があるのかもしれません。

不起訴合意は有効に成立し得たか

不起訴合意が有効に成立し得たかを考えるにあたり、仮に不起訴合意に向けた申請者の意思表示が外形上存在するように考えられるとしても、意思表示に瑕疵がなかったかを考える必要があります。このことを考えるにあたり、給付申請書の文言及び閣議決定内容の一般人における認識可能性について考えてみます。
この点については、給付申請者が給付申請書の

私は、救済措置の方針(平成22年4月16日閣議決定)に基づく一時金、療養費(医療費の自己負担分)、療養手当の給付を申請します。

という記載部分をどのように認識していたかという点が問題となり得ます。
まず、申請者が平成22年4月16日閣議決定(以下当該閣議決定を単に「閣議決定」といいます。)の内容をどのようにして知り得たのかを検討してみます。
この点については、①閣議決定は平成22年5月20日付第5315号の官報に公告されており、これにより申請者は閣議決定の内容を知り得る可能性がありますし、②給付申請リーフレットの記載内容によっても知り得ます。更に、③国あるいは申請県がおこなうその他の広報活動(申請前・申請時の説明等)によっても知り得ると言い得ます。
ところで、この不起訴合意に向けた意思表示と考えられている行為は、行政により多数の者の申請を画一的に処理するためにあらかじめ行政が準備した書面の不動文字によりなされていることからすると、不起訴合意は個別契約ではなく行政契約締結時の「約款」類似のものと考えるのが妥当のようにも思われます。そこで、このような場合にも約款契約が成立し得るのか、約款契約がいかなる場合に成立し得るかを検討してみます。
改正前民法では約款に関する特別の規定は存在していませんでしたが、

約款は制定法による特別の授権のないかぎり、それを契約に採用する旨の合意によってはじめて、当事者を拘束するに至るという考え方(契約説)が主流である

『民法の争点』(ジュリスト増刊)、219ページ「約款」山本豊著参照

判例は契約説にたつ

「新民法体系Ⅳ 契約法」加藤雅信著、有斐閣発行

等、一般的には約款の内容は契約当事者の合意があって初めて契約当事者を拘束するものと考えられていたようです。
ところで、官報の公知性に関しては、最大判昭和33年10月15日(刑集12巻14号3313ページ)において、

成文の法令が一般的に国民に対し、現実にその拘束力を発動する(施行せられる)ためには、その法令の内容が一般国民の知りうべき状態に置かれることを前提要件とするものであること・・・またわが国においては、明治初年以来、法令の内容を一般国民の知りうべき状態に置く方法として法令公布の制度を採用し、これを法令施行の前提要件とし、そしてその公布の方法は、多年官報によることに定められて来たが、公式令廃止後も、原則としては官報によってなされるものと解するを相当

と判示されているように、官報の記事を国民が最初に目にすることが可能となった時点(販売開始時点、現在はネット上で官報を読むことが出来ることから、ネット上にアップロードされた時点)を「一般国民の知りうべき状態に置かれ」たと考えるとされていました。
しかし、法令の公布と異なり、改正前民法においては、約款の内容は契約当事者の合意があって初めて契約当事者を拘束するものと考えられていたようであることからしますと、実際に申請者が官報記事を目にした時点で初めて契約当事者(申請者)を拘束することとなり、当該官報記事により不起訴合意が生じ得るものと考えられます。
ところが、一般人は官報など目にすることは滅多になく、閣議決定の内容が官報に掲載されていること、更には閣議決定の内容をどのようにすれば知り得るかに関して申請者を含む相当数の国民は知っていなかったと考えられることからしますと(そもそも、相当数の国民は官報がいかなる性格を有するものなのか、更には官報の存在自体を知らない者も一定数は存在するものと考えられます。)、官報の掲載をもって、給付申請書の「救済措置の方針」に閣議決定の不起訴合意を読み込むことは不起訴合意を私法上の行為と考える以上は無理があり、官報の記事の記載をもって、不起訴合意の成立を認めることは困難であると考えられます。

次に改正民法を前提にして考えてみます。この場合、特措法の補償を申請県と申請者との間の契約と考えれば、一種の定型取引と考えることもできます。そして、「救済措置の方針」を定型約款と考えた場合、民法548条の2の1項2号により、閣議決定の内容を含む「救済措置の方針」に関する申請者と申請県の間の合意が成立し、不起訴合意も成立していると考えることが出来ます。しかしながら、療養費のみの補償(水俣病被害者手帳の交付のみ)の給付に対し、申請者の訴権まで失わせることは民法548条の2の2項の、

相手方の権利を制限し、又は相手方の義務を加重する条項であって、その定型取引の態様及びその実情並びに取引上の社会通念に照らして第一条第二項に規定する基本原則に反して相手方の利益を一方的に害すると認められる

ことに該当し、不起訴合意に関しては「合意をしなかったものとみなす」ことになるとも考えられます。
このように、官報の公告のみから不起訴合意が成立すると考えるのは、改正民法を前提としない場合には、申請者が当該記事を見ていたという事情がなければ困難であると考えられます。一方、改正民法を前提に考えた場合、形式的には不起訴合意の成立が認められ得ますが、実際に申請者が官報記事を見ていない場合には、申請者と申請県(国)の利益状況から不起訴「合意をしなかったものとみな」され、不起訴合意の効力は生じないものと解釈される可能性が高いものと考えられます。実際に申請者が官報公告を読むあるいは読みうる状態でない限り、官報の掲載のみで不起訴合意が成立すると考えるのは改正民法を前提としなければ相当困難ですし、改正民法を前提としても相当困難であるということが分かります。

次に、②給付申請リーフレットあるいは③広報活動から不起訴合意が生じうるかを考えてみます。申請県が、申請者から給付申請書の交付の申出があった時点で給付申請書の用紙と共に給付申請リーフレットを交付していた場合、給付申請リーフレットの記載内容が定款類似のものと解されることとなります。その場合、形式的には不起訴合意の成立が認められますが、改正民法を前提としても前提としていなくとも民法1条2項(改正民法を前提と知れば548条の2の2項から1条2項)により、申請者と申請県(国)の利益状況から不起訴「合意をしなかったものとみな」され、不起訴合意の効力は生じないものと解釈される可能性が高いものと考えられます。これは、③広報活動により申請者に対し閣議の「救済措置の方針」の内容につき説明が行われていた場合も同様です。
尚、特措法の申請に関しては、公健法の水俣病被害地域での特措法申請に関する説明・広報活動は一定程度おこなわれていたようですが、その他の地域にいて十分な説明・広報活動が行われたかは関係者の話からすると疑問があります。

このような事情からしますと、仮に形式的に申請者の不起訴合意に対する意思表示が外形上存在するように考えられるとしても、その不起訴合意に向けた合意を行政契約の約款契約と考えるのであれば、不起訴合意が有効に成立していると考えるのは相当困難であるように思われます。

その他の不起訴合意の効果発生を阻害する事情

ところで、約款契約に関しては、

約款の設定者は、通常は、より強い交渉能力を持った企業者もしくは企業者団体であり・・・わけても顧客が経済的弱者である場合、通常、彼らは取引に不慣れで、法律的知識も乏しいため、約款の内容を読むことなく、時には約款の存在にさえ気づかないで、その適用を承諾してしまうことも少なくない。・・・・たまたま、内容を理解し得たとしても、経済的に劣弱な顧客に交渉の余地は無く、そこには「一括承服」か「一括拒否」しか残されていない。もし、約款作成者が独占体であったり、競争者が同じ内容の条項を用いている場合には、約款を選ぶこともでき(ない)。・・・本来契約自由は、恣意勝手なものではなくて、あくまで理性的な自由であるべきであろう。何故なら、無制限な契約自由は、己れ自身を荒廃させ、「他方による一方の押さえつけの手段」と化すからである。・・・何らかの形での交渉力の回復措置もしくは最低基準の強行的保護といった国家による後見や保障が必要になってくるのである。

『約款規制の法理』河上正二著、昭和63年8月15日(株)有斐閣発行、pp6-8、カッコ内加筆

と考えられています。しかし、特訴訟の申請の場合、国らと申請者との間には歴然とした法律的知識、経済力、交渉力における格差が存在することは言うまでもありませんし、申請者からすると、水俣病の損害の補填を求める方法としては、救済措置の方針という「約款」以外の選択の余地は実質的にはないのですし、救済措置の内容について申請者が国らと交渉をおこなう余地のなく、「一括承服」するか「一括拒否」するかの立場に置かれていたと言えます。上記引用文献からすると、何らかの形での交渉力の回復措置もしくは最低基準の強行的保護といった国家による後見や保障が必要であったと言い得ます。
このように考えますと、訴権の放棄の条項を契約上、約款として包括的に規定するのであれば、国らは申請者に対し懇切丁寧に説明する機会を設ける義務を負っていたとも考えられ、説明を欠いている場合には、仮に不起訴合意が形式的に成立していても信義則違反で無効とされることもあり得ると考えられます。

救済措置申請が訴訟要件に与える影響について

このように、水俣病特措法の申請に関しましては、療養費のみ対象者が訴訟により救済を求めた場合、不起訴合意の成立が認められるかは疑問があり、必ずしも訴えの利益を欠き訴えが却下されるとは言い得ないと思われます。

この水俣病特訴訟の救済申請の問題から考えますと、公害の救済方法として複数の救済の程度が異なるプログラムが選択されている場合、救済の程度の低い救済プログラムの対象者と認定された申請者に関しては、その申請及び補償の給付が必ずしも訴訟要件を欠くことに繋がるとは言い得ないと思われます。ただし、訴訟要件の存否は、国あるいは申請県の申請時の説明の程度にも左右されるものと考えられます。

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