公害

公害病と損害

公害病に関しては、行政機関は、身体に一定の症状が現れた者を公害病と認定することがあります。

化学物質を原因とする公害の場合、原因物質の中毒症が公害病ということになるのでしょうが、原因物質によっては、その化学物質の中毒症状はその公害病に特異的なものではなく、他の病気によっても見受けられる一般的な非特異的な症状であることもあります。

化学物質による代表的な公害病である水俣病の症状としては、(1)感覚障害、(2)運動障害、(3)視野異常、(4)聴覚異常、(5)構音障害、(6)振戦、(7)こむら返り等が挙げられますが(原田正純『慢性水俣病・何が病像論なのか』p.61(実教出版、1994))、いずれも他の病気によっても生じ得るものです。したがって、特定の症状を公害病診断の切り札とすることは困難であると考えられています。

ただし、(1)の感覚障害の内、四肢末梢優位の感覚障害(手足の先端に袋状に感覚異常が生じるもの)は水俣病に特異的なものであると言われます。その理由としては、次のようなことが考えられているようです。

水俣病は、水俣病公害地域に生息したメチル水銀に汚染された魚介類を経口摂取したことによって生じた中毒症なのですが、経口摂取されたメチル水銀は大部分がアミノ酸輸送系を介して消化器から吸収され、吸収後のメチル水銀は血液の循環により全身に分布することになります。特に、メチル水銀は血液―脳関門を通過できることから脳内にも分布することとなります。そして、メチル水銀は-SH基との親和性が高いために組織の機能性-SHに結合して神経細胞の機能を障害し活性化を低下させると考えられています(荒記俊一編『中毒学』pp.90-93(朝倉書店、2002))。そこで、脳内に入ったメチル水銀は、人の感覚を処理する大脳皮質の中心後回の第1次体性感覚野(以下「第1次体性感覚野」といいます。)の神経細胞を欠落させると考えられています。実際に亡くなった水俣病患者の剖検結果では、大脳皮質の神経細胞の広範囲での間引き欠落が認められています(荒記前掲p.312)。しかし,メチル水銀を摂取することによる神経障害のメカニズムは完全に解明されているわけではありません。近時でも、メチル水銀化合物が血管内皮増殖因子(VEGF)の発現を誘導し,VEGFが血液脳関門を破綻することにより血管透過性が上がり,メチル水銀以外の毒性物質(炎症性物質サイトカインや酸化物質など)が血管の中から脳内に入り神経障害や部位特異性を引き起こす可能性があることが指摘されたりしております。
そうすると、第1次体性感覚野は全身の感覚処理をおこなっているのですから、この部位の神経細胞に障害が生じれば全身に感覚障害が生じてもおかしくないように思われます。しかし、国などは四肢末梢優位の感覚障害を水俣病の認定に際し重視しています。確かに、四肢末梢の感覚の処理をおこなう第1次体性感覚野の領域の第1次体性感覚野全体に占める面積割合から考えると(後述の通り、第1次体性感覚野において四肢末梢の感覚の処理をおこなう領域は他の部位の感覚の処理をおこなう領域より相対的に大きい。)、四肢末梢優位の感覚障害が水俣病罹患を推認させる力が、その他の感覚障害の水俣病罹患への推認力より強いものとして扱うことは一定の合理性があるものとも考えられます。しかし、訴訟において国は、四肢末梢優位の感覚障害が認められない水俣病患者は存在しないという立場をとります(ただし、国は、後述する「52年判断条件」を水俣病患者の認定に採用しており、訴訟以外の場においては、必ずしも四肢末梢優位の感覚障害の認められない者の水俣病認定を一律に排除しているわけではありません。)。これは、判断として合理的なものなのでしょうか。

一般的には、四肢末梢優位の感覚障害は第1次体性感覚野の機能局在性により生じると考えられています。大脳皮質の機能局在性とは,大脳皮質の全ての部位が等しく全ての運動,感覚の処理に関与しているのではなく,第1次体性感覚野も細かな領域毎に体のどの部分の感覚の処理をおこなっているかが決まっていることを意味します。この第1次体性感覚野のどの部位が体のどの部位の感覚の処理をおこなっているかを示したものとして有名な「ペンフィルドのホムンクルス」(原田前著pp.92-93参照)を見ると、第1次体性感覚野の内,胴体の感覚の処理を担う領域の面積に比べ手足の先の感覚処理をおこなう領域の面積が大きいことが分かります。このことから、四肢末梢の感覚を処理する領域の神経細胞が障害を負いやすいと考えられているのです。
ただし、脳内に侵入したメチル水銀に指向性があり、四肢末梢の感覚を処理する領域の神経細胞を専ら攻撃対象とすると考えることも不可能ではありません。しかしながら、上記の水俣病の症状の内、(2)運動障害及び(6)振戦は小脳の障害により生じるものであり、水俣病においては、その発生原因からしても、メチル水銀により小脳の神経細胞が障害を受けたことが原因であると考えられます。また、(3)視野異常、(4)聴覚異常は、それぞれ大脳の後頭野の鳥距溝の上下にある視覚野、大脳皮質の横側頭回の聴覚野の神経細胞がメチル水銀により障害を受けたことが原因であると考えられます。このように、水俣病では、脳内の多くの部位の神経細胞に障害が生じることからすると、メチル水銀に指向性があり、ターゲットとなる細胞は特定されているという考えは取りづらいものと思われます。確かに、脳内へのメチル水銀の輸送経路である血管と第1次体性感覚野の四肢末梢の感覚処理をおこなう領域との位置関係から四肢末梢の感覚をおこなう領域の神経細胞のみ障害を受けるとの仮説も可能かもしれません。しかし、調査した範囲内ではそのような文献は見つかっておりませんし、国もそのような主張はおこなっておりません。このようなことからも、やはり、現時点では、このような考えは取りづらいのだと思われます。

次に、全身性の感覚障害が生じている者について考えてみます。前者の考え方からすると、第1次体性感覚野の四肢末梢の感覚を処理する領域のみでなく全体の領域の神経細胞まで障害が生じた時に全身性の感覚障害が生じると考えることが出来ます。そうすると、四肢末梢の感覚の処理をおこなう神経細胞のみ障害を生じた四肢末梢優位の感覚障害の者は水俣病患者と認定され補償を受けられるが、四肢末梢の感覚の処理をおこなう神経細胞のみでなく、第1次体性感覚野全体領域の神経細胞に障害を負い、全身性の感覚障害が生じた者は補償を受けられないということになります。

ところで、国は「52年判断条件」といわれる条件を充たす者を「水俣病患者」と認定して補償金の支払い対象としています(尚、52年判断条件を充たさない者に対しても「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」等により一定の救済措置を講じてはいます。)。そして、裁判上において国は、52年判断条件を充たさない者は水俣病患者たり得ないとの立場を維持しております。

ここで問題となるのは、何を「水俣病」と考え、何を損害と考えるのかということです。

水俣病公害の被害者が損害賠償請求をおこなうとき、必ずしも国が言うところの「水俣病」に罹患したこと理由として提訴するわけではありません。メチル水銀を経口摂取したことにより、運動失調、視野狭窄が生じ、仕事が出来なくなったことにより、得られなくなった給与を得べかりし利益として損害賠償を求めている者もいます。
水俣病を本来の定義通り「メチル水銀中毒症」と解すれば、人により発生する症状は異なることとなります。これは、次のことからも説明できます。

国は、水俣病訴訟において、「閾値機構」論を主張します。ここで言う「閾値機構」論とは、一定量以上のメチル水銀を体内摂取しなければ水俣病は発症しないという主張です。
しかし、この「閾値機構」論も52年判断条件を充たす症状を「水俣病」と定義していることを前提とするものとも言えます。
何故なら、メチル水銀摂取量と各症状の発症程度の関係は、症状毎に異なるものであることから(熊谷嘉人他『毒性の科学』pp.4-6(東京大学出版会、2014))、結局は、どのような症状の発現をもって水俣病を発症したと判断するかという評価項目(エンドポイント)により閾値も異なってくるからです。
そうすると、元々、52年判断条件を充たす「水俣病」に罹患したことを理由としてではなく、運動失調、視野狭窄が生じ仕事が出来なくなったことを理由に損害賠償請求(国及び熊本県に対する国家賠償法に基づく請求を含む)を提訴した原告に対し、52年判断条件を充たす者の「閾値機構」を論ずるのは前提が異なり、反論とはなり得ないように思われます。しかし、実際には、52年判断条件を採用するか否かは別として、抽象的な特定類型の水俣病の病像を措定して、その措定した病像に合致するか否かを判断し。それに合致しない場合は請求が棄却されることとなります。

このように、水俣病の損害賠償請求においては、原告の請求とこれに対する国の主張及び裁判所の判断にはズレが生じているとも言えます。

この水俣病の例からすると、化学物質による公害病で、特異的な症状が見当たらず、複数の非特異的な症状が認められる場合、訴訟においては、何を損害とするかを明確にし(単に「公害病に罹患したことによる慰謝料請求」ではなく)、訴訟上における公害病の病像類型化を回避することを考えても良いのかもしれません。

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