朝日連峰遭難事件にみる課外活動時の登山事故における引率教員の刑事責任

朝日連峰遭難事件について

今回は、27)昭和44年4月初に課外活動で朝日連峰を縦走していた高校登山部のパーティーの部員4名のうち3名が凍死した遭難事件(以下「朝日連峰遭難事件」といいます。)の刑事裁判(山形地判昭和49年4月24日)をみてみます。

この事故では、引率教員は、凍死した部員3名に対する業務上過失致死罪により起訴されましたが、1審の山形地裁で無罪判決が下されました。
当該事故の事情において過失の成立が否定されたこと、および引率教員の生徒の引率行為に、刑法211条前段の業務性が認定されたことが同様な事件において参考になるものと思われます。

朝日連峰遭難事件の発生経緯

事故発生日までの経緯

この事故に遭遇した、高校登山部の部員4名および引率教員1名(以下引率教員を「甲」といいます。)からなるパーティーは、月山口から中村まで歩き、中村の旅館に前泊しています。

4月1日には、中村の旅館を出発、南俣沢出合から入山し、竜ヶ岳を経て天狗小屋に宿泊しています。
翌4月2日には、天狗角力取山、高松峰等を経て狐穴小屋にたどり着きましたが、天候不良のため同小屋で二晩停滞しています。
停滞後の4月4日7時頃、狐穴小屋を大朝日岳へ向けて出発しています。

参加部員について

尚、この事件の発生した合宿登山に参加した部員の登山歴に関し、裁判所は、

本件・・・登山に参加した部員のうち、同四〇年四月に・・・入学したAは、同四一年三月に・・・入部・・・同年夏の飯豊連峰および朝日連峰・・・同年冬の蔵王連峰への合宿登山、各種登山競技大会(三回)に参加する等の経験を有し・・・本件・・・登山に参加した部員四人のうちで最も経験を積んだ同校山岳部長として甲の信頼を受け、同登山におけるリーダーの役割を果したものである。同四一年四月に入学したB・C・Dのうち、B・Cは入学と同時に、Dは同四二年一月頃になつてから、それぞれ同校山岳部に入部し、Bは同四一年夏の飯豊連峰への、同年冬の蔵王連峰への各合宿登山に、Cは同年夏の朝日連峰への同年蔵王連峰への各合宿登山等に参加する等の経験を有し、右Dは右合宿登山を通じ、その登山行動における判断力・耐久力につき、甲から相当の信頼を受けるほどであつたが、前記のように遅く入部したDは、正式の同校山岳部員としての行事参加は、本件春山合宿登山が初めてで、その登山能力につき甲も多少の懸念を抱いていたほどであつた。

山形地判昭和49年4月24日

と認定しています。

事故発生状況

その上で、事故当日のパーティーの行動および事故の発生状況について、裁判所は次のように認定しています。

翌四月四日・・・午前六時頃・・・ラジオで天気予報を聞いたところ、前夜の天気予報とほぼ同じく「今日は南西の風、午前中は曇り・・・一時雨・・・、午後・・・北西の風が強くなり、時々雨・・・気温も下がつてくる……午後から海上山岳方面は荒れ模様になり突風の吹くおそれ・・・」という内容であつた。しかし甲は、当時同小屋付近は高曇りで見通しはよく、風も吹いておらず、又従前からの経験で午後一時頃までには大朝日小屋に十分着けるはずで・・・仮に途中で風雨・風雪にあうとすれば大朝日小屋に着く少し前で、その間わずかの距離にすぎないから、出発しても大丈夫と判断し・・・午前七時頃部員らとともに同小屋を出発・・・当初全員にアイゼンをつけさせたが・・・すぐ・・・輪かん・・・につけ換えさせたところ、従前から輪かんのつけ方が上手でなかつたBは、この時も上手につけることが出来ず・・・甲がつけ直してやる等して出発・・・三方境に至つて全員輪かんを自分ではずし・・・北寒江山・寒江山・南寒江山・百畝畑等を通つて、同日午前一〇時頃竜門山に到着・・・部員らは皆元気であつた・・・竜門山で一行は・・・昼食をとつたり・・して休憩・・・その間甲は部員らに対し避難路としての同所から日暮沢小屋に下るコース等の話をしたりしたが、そうしているうち雨がパラパラ降り出してきたので・・・同日午前一〇時二〇分頃C・D・B・A・甲の順で・・・出発・・・約二〇〇ないし三〇〇メートル位進んだところで雨のため西朝日岳方面が見えなくなり、更に進んだ御坪付近では、雨は次第に大降りになり、風も強くなつてきたので、同所で全員ポンチョを着用し、ポンチョの帽子を頭にかぶつて、更に進行を続けた。なお、西朝日岳指導標に至る手前で休憩した際、Bに対しAが氷砂糖を配れと命じたのに、Bが黙つていて配ろうとせず、Aが再度大声で命じてはじめて配つたというようなことがあつた。その頃から雨は次第にみぞれに変り、一行は、途中四回位休憩しながら、同日正午頃ようやく西朝日岳指導標に到着・・・その間・・・部員らが急ぎ足になつたため甲が同人らから遅れ・・・部員らは遅れている甲を立ち止まつて待つということが何度かあつた・・・西朝日岳指導標に着くころは、みぞれから雪に変つて吹く風も強く、吹雪になつてきて・・・稜線が明確でなかつたので・・・コースを容易に見つけることが出来なかつた・・・甲は・・・、吹雪の中を単身コースの調査に出かけ・・・約二〇ないし三〇分かかつて・・・中岳に行くコースを見つけて戻つてきた。その間部員らは、甲の指示に従つてまず輪かんをつけようとしたところ、Bを除く他の部員三人はすぐつけたものの、Bは「つけられない」旨訴えるのでリーダーのAが代わつてこれをつけてやり・・・厳しい寒さを感じてきたため、それを防ごうと、Bを除く他の部員三人が誰とはなしに声を出しながら肩を組んで足踏みを始めたが、Bは最初ぼんやりと突つ立つてこれを見ているだけであつたので、Aが幾度かすすめた結果、Bも足踏みに加わるようになり・・・足踏みを続けていた・・・甲がコースを見つけて部員らの所へ戻つてくると、部員らは皆元気そうであり、誰も体の具合が悪いなどというものもなかつたので、すぐキスリングを背負い、「さあ出発だ」と声をかけ・・・吹雪で、視界も大分きかなくなつていたので、甲が先頭に・・・中岳の方向に向かつて歩き出し、C・D・B・Aがこの順で甲に続いた。同所から約一五〇メートル位進んだところ、夏道が露出していて輪かんの必要がなくなつたので、同所において一行は甲の指示により全員輪かんをはずしたが、Bは甲の右指示にもかかわらすぐ輪かんをはずさず黙つて立つていたので、甲が「どうしたんだ、早くはずせ」と強い調子で促すと、BはAに対し「はずせないのよ」と訴えたので、Aは前に輪かんをつけてやつたときと同じくBに代わつてこれをはずしてやつた。Aから輪かんをはずしてもらつたBは、他の者が手に輪かんを持つたにも拘らず、自己のキスリングを背中からおろして、そのポケツトのバンドをはずし、そこに右輪かんを結びつけた。それからまた同じような隊列で進み始め、約四〇メートルも歩いたところ、勾配の急な下り坂の雪のない岩肌で、Bがキスリングを背負つたまま約三ないし四メートル滑り落ちて、尻もちをつき、その地点で立ち上がろうとしなかつたので、甲がBに近寄り、「どうしたんだ」と強い口調で気合をかけたが、Bは直ちに立ち上がろうとせず、一ないし二呼吸してから起き上がり、甲に「腰が痛いんだ」等と訴えた。それから一行は、また吹雪の中をゆつくり中岳に向かつて進み・・・途中・・・中間食を食べた。しかし、その後、Bの歩みは特に遅くなり、時々ふらふらと体がゆれて、体のバランスが崩れることもあり、Bおよびその後を歩くAのグループは、前を行く甲・C・Dのグループから次第に遅れてゆき、Bは後にいるAから「頑張れ」等と元気づけられながら歩くほどになつた。
甲・C・Dのグループは同日午後三時頃指導標から約1.5キロメートルの中岳上り口付近の鞍部に到着し、中岳斜面を少し登りかけたが、その頃には、B・Aのグループは前を行く甲・C・Dのグループから約一〇〇メートル位も遅れ・・・甲達は、立ち止まつてB・Aを待つことにした。しかし、Dが「待つていると寒いな」というので・・・ツエルトザックを取り出し、これを一緒に被つてB・Aが追いつくのを待つことにした。一方、B・Aは歩行を続け、甲達の所へ約六〇メートル(甲およびAの感覚では約二〇メートル)位の所まで近づいたところ、Bが急に立ち止まり動こうとしなくなつた・・・「Aさん、だめだ」等と弱音を吐き、更に何か言おうとしても言葉にならない状況になつた・・・Bの右状況を甲に報告すべく・・・Bを無理にツエルトザックの中に入れて・・・ツエルトザックを張つて休憩している甲達の所へ向かつた・・・甲達はツエルトザック内でCに対し、一人ででも大朝日小屋まで行きたいと言うのをなだめたり、その休憩地点から同小屋に行くコースについて・・・説明しながら、B・Aが追いついてくるのを待つていたところ・・・まもなくAがやつて来て甲達のツエルトザックの中に顔を入れ、甲に対し「Bがバテて動けなくなつた」と報告をした。これを聞いた甲は、すぐBは単に疲れたにすぎず、少し休憩すればまもなく回復し、同人が回復したならば大朝日小屋に向け再び出発しようと考え、Aに対し「動くな」と言葉短かに指示を与え・・・AもBの居る所に戻つてきた。するとAは、Bがツエルトザックに入つたまま元の位置から三ないし四メートル位西朝日岳寄りに移動していた。そこでAもその中に入ると、Bは、中で横になつて眠ような状態で目をつぶつているのを発見したので、そのままBを眠らせると同人は死んでしまうと直感し、「Bどうした」等と幾度も大声で呼んだが、同人は少し声を出そうとしたにすぎなかつた。そこでAは、Bを眠らせないため懸命に同人の頬を平手で殴つたところ、同人の口から血が出てきたので驚いて殴るのを止め、次いで同人の大腿部をつねる等し、更にその間、同人にカリン糖を食べさせようと同人の口に無理にそれを入れてやる等して、Bの死を防ぐため必死の努力をしたが、最初Aがつねると足を動かす等の反応を示していたBも、次第にそれを示さなくなり、口に入れられたカリン糖も力なく落とすという状態を呈し、かくしてBは同日午後五時頃には全く反応を示さなくなり、同日午後六時ないし七時頃、寒さと疲労のため凍死するに至つた。Aは、Bが全く反応を示さなくなつた午後五時頃には、同人は死亡したと思い込み、そのまま同夜はツエルトザックの中で・・・一睡もせずに過ごした。Aが戻つたのち甲達は・・・ツエルトザックを被つて休憩していた地点でそのまま不時露営する決意を固め・・・A・Bには何の連絡もせず・・・不時露営の態勢に入り、同夜を過ごしたが、甲は一晩中時々C・Dの名を呼び、同人らを元気づけていた。翌四月五日は夜明け近くになつて風雪がおさまり、甲・C・Dが午前五時過頃起床したところ・・・下の不時露営地点でAが手を振り、Bが死亡した旨叫んでいるのをCが聞いて甲に伝え、驚いた甲とCの二人が急いでAの所に行き・・・甲はBが死んだことを確知し・・・同日午前六時頃、Aに対しては疲労が激しいので、キスリングを背負わせないで、ピッケルだけを持たせ、C・Dにはキスリングを背負わせようとしたが、その際、Cのキスリングの背中の肩掛けがリングの儘外れてしまい、背負えないので、必要なものをサブザックに入れて持つけゆけと指示したところ、Cが何とか取り繕つて持つて行くと言うので甲はそれを了承し、朝食もとらないまま、甲が先頭になつて出発した。・・・甲ら一行は・・・中岳指導標に至る約一〇〇メートルの急斜面をキツクステップをしながら約四〇分位かかつて登り、同指導標付近に至つたところ、C・Dが甲に対し「腹が空いたので飯を食べて行つてよいか」旨申し出たため、甲は「食事終わつたらついて来い、カッティングしておくからすぐついて来い」といつて、甲・AはC・Dと別れ、同日午前七時ないし八時頃、大朝日小屋に到着した・・・C・Dが列着するのを待つたが、一時間経つても二時間経つても来ないので、甲はアイゼンとピッケルだけで単身捜索に向かい、金玉水・中岳中腹・銀玉水一帯を所携の呼子を吹き、C・Dの名前を呼び辺りを見廻わしながら探し歩いたが見つからず、その頃から風雪が激しくなり、また甲自身も疲労が大きくなり、体力の限界を感じてきたので、やむをえず捜索を中止・・・同小屋に寝た。なおC・Dは、同日午前九時頃から午後三時頃までの間、中岳指導標付近で凍死した。

山形地判昭和49年4月24日

裁判所の「業務性」の認定

この事故において、甲に業務上過失致死罪が成立するかの判断においては、刑法211条前段の業務性が認められるかが、まず争点となっています。

この点につきまして、裁判所は、

刑法二一一条前段にいう「業務」とは、人が社会生活上の地位に基づき、他人の生命身体等に危害を加えるおそれのある行為を、反覆継続の意思で行うものをいう(最判昭和三三年四月一八日刑集一二巻六号一〇九〇頁参照)と解するを相当とする

山形地判昭和49年4月24日

と判示しています。

ここでは、刑法211条前段の業務を、

  1. 社会生活上の地位に基づき
  2. 他人の生命身体等に危害を加えるおそれのある行為を
  3. 反覆継続の意思で行う

ものとしています。

そして、この1~3の各要件について検討を加えています。

まず、上記の1について、

  • この事故の発生した合宿登山は特別教育活動としてのクラブ活動に厳密な意味で該当するかは疑わしいものの、高校の教育活動と密接な関係を有し、社会的にもそのような評価を受けていること
  • 合宿登山の旅費等は同校の父兄等から集められた準公費的性格を有する教育後援会費で賄われていること
  • 甲は長年同校山岳部の顧問をつとめ父兄から信頼されていたこと

等から厳密な意味の教師という社会生活上の地位つまり教師の職務そのものとしてではないものの、教師の職務と密接な関係にある特殊な社会生活上の地位に基づき行われたと認められるとして、合宿登山が「社会生活上の地位に基づ」きおこなわれたと認定しています。

次に、2の点について、

「他人の生命身体等に危害を加えるおそれのある行為」とは、その者の行為が直接危険を作り出す性質のものである場合のほか、その者が危険を生じやすい生活関係において予想される危険の発生を防止することを期待される地位において特定の仕事をしている場合もこれに含まれるとした上で

甲は部員らを適切に指導して予想される危険からこれを保護すべき立場にあったとして、「他人の生命身体等に危害を加えるおそれのある行為」を行っていたといえるとしています。

更に、3の点について、
甲が、教員として毎年継続して山岳部顧問となり生徒を同行指導していたことなどから、甲の反覆継続の意思を認定しています。

そして、これらをもとに刑法211条前段の業務性を認定しています。

裁判所の過失の認定

訴因としての過失行為について

Bとの関係での過失行為

この事件の裁判では、起訴状の公訴事実には複数の注意義務が記載されていましたが、その記載された複数の注意義務の関係が不明確なものであったこともあり、訴因の特定を欠き控訴棄却されるべきとの主張が弁護人からなされました。

そこで、裁判所は、訴因としての過失行為に関し、判決の冒頭において下記のように認定をしています。
まず、Bとの関係における過失行為としては、下記の1~3が番号順に予備的訴因、3と4が択一的訴因として存在していると認定しています。

  1. Bが凍死した中岳上り口付近の鞍部において、甲自ら引き返し、Bの容態を確かめて救護のために必要な措置を取るべきであったところ、そのような措置をとらなかったこと
  2. Bが転倒した西朝日岳指導標付近において、Bの健康状態を確かめ、ビバークして採暖摂食等の措置をすべきであったところ、そのような措置を取らなかったこと
  3. 大雨、強風になりポンチョを着用した御坪付近でビバークしなかったこと
  4. 御坪付近で日暮沢小屋方向へのエスケープルートを選択せず前進を続けたこと

C、Dとの関係での過失

次に、C、Dとの関係では、

5  C、Dが凍死した中岳指導標付近でC及びDから離れ前進を続けたこと
及び上記の3および4

が3と5は5、3の順に予備的訴因として、3と4は択一的訴因として存在していると認定しています。

過失の競合

上記のように、検察官は、複数の過失行為を公訴事実の中で主張しています。
予備的訴因とされている甲の過失行為については、上記のように、裁判所は、被害者であるB、あるいはCおよびDの凍死という業務上過失致死罪の結果に近い、時間的には後におこなわれた行為から順に予備的訴因と認定しています。

このように、複数の過失行為が被害結果の原因と考えられる場合、何を過失行為と考えるかについては、下記の積丹岳遭難事故の民事訴訟の記事において、段階的過失の問題として取り上げました。

この問題は刑事事件でも、過失の競合の問題として扱われ、複数の過失が原因と考えられる場合、その複数の過失全部を刑法上の過失と考えるべきであるとする「過失併存説」と、結果発生に最も近い過失を刑法上の過失と考える「直近過失一個説」がとなえられています。
ただし、直近過失一個説を採用しても、必ず最後の過失が、実行行為としての過失行為と認定されるわけではありません。
極端なケースでは、最初の過失を実行行為と認定し、そのあとの過失は独立した過失行為ではなく、最初の過失行為から結果が生じるまでの因果の流れの中の出来事であると解される余地もあります。
この点につきましても、上記の積丹岳遭難事故の記事で触れております。

ただし、民法と異なり刑法には過失相殺がないことから、いずれかの過失を認定出来れば、過失致死罪の成立を認めることができることから、すべての過失を認定する必要はありません(ただし、複数の過失が考えられる場合、量刑に影響する可能性は否定できません。)。
一方、無罪判決を下すためには、全ての過失の不存在を認定する必要があります。

この事件では、前述のように無罪判決が下されています。
そこで、判決において、上記の1~5の全ての行為に関して検討をおこない、下記のように過失の成立を否定しています。

裁判所の過失の認定

裁判所は、まず、上記の1に関しては、
「Aから報告を受けた時点においては、Bに対しいかなる応急的な救護措置を施しても、同人の死の結果を回避することは不可能であつた」
として、回避可能性が認められないとし、甲の過失を否定しています。

また、上記2については、

  • Bが滑つて尻もちをついたこと
  • 輪かんをはずすようにとの指示にすぐ従わなかった
  • 輪かんを自分で外せなかった
  • 外した輪かんを降ろしたキスリングに結びつけた

などの事情は、Bの身体の異常をさほど明確に示すものではなく、また甲にBの生命に危険が迫りつつあることを予見させるものではないとし、ビバークする法的義務は認められないとして2の過失も否定しています。

上記3に関しては、

それまでBを含む甲ら一行には特に異常を訴えるものもなく普通に進行を続けてきており、しかも御坪付近における状況は単に雨が強くなつてきたというにすぎないから、右時点において甲に、Bの生命に危険が起こることを予見して、適当な場所に不時露営して摂食採暖等の臨機の措置をとるべき法的義務が発生したとは到底いえないと認めるのが相当であり、結局、相変らず前進を続けたことが右注意義務違反になるとはいえないというべき

山形地判昭和49年4月24日

として、御坪付近でビバークしなかったことへの過失の成立を否定しています。

更に、上記4に関しては、

御坪付近で甲は、直ちに前進を中止して日暮沢小屋に避難する義務があり、したがつてそのまま大朝日小屋に向け前進を続けたことが右義務違反になるといえるためには、御坪から大朝日小屋に向け進むよりも、日暮沢小屋に向け下山した方が、より安全であつたといえなければならないので、以下右両コースを比較検討することとする

山形地判昭和49年4月24日

とした上で、

  • 日暮沢小屋への下山ルートと大朝日小屋へのルートの距離、標高差の比較
  • 下山ルートには雪庇、ナイフリッジなどが存在するが、後者は比較的危険個所が少ないこと

等登山ルートの地形・状態を比較検討した上で、両ルートでは風の影響に大差ないことなどから、日暮沢小屋への下山ルートの方が安全であったとは到底いえないとして、御坪付近で日暮沢小屋方向へのエスケープルートを選択せず前進を続けたことへの過失の成立を否定しています。

そして、上記5に関しては、

「飯を食べて行きたい」というC・Dの申出を拒否し・・・大朝日小屋までつれて行けば・・・両名の命を救うことが出来た(結果回避可能)ことは明らかであるが・・・西朝日岳が見えるほど視界が良く、雨や雪は降つておらず、しかも風は時折り地吹雪を舞い上がらせる程度であつたこと、中岳指導標付近から大朝日小屋までのコースはさほど難かしくなく、その距離も1.2キロメートル位でわずかであること、被告人は登山行動における判断力および耐久力に優れたCに対し・・・前日右コースを口頭で具体的に説明しておいたこと、およびBは・・・中岳上り口付近の鞍部で顔を合わせたとき・・・極めて疲労した状態を呈しており、同鞍部から出発する際もキスリングを背負うことが出来なかつた等のため、同人を一刻も早く大朝日小屋に収容しなければならないと考えたことによるものであり・・・高校生ともなればその行動能力は相当程度成人に近いといえること等に鑑み、右のような考えのもとにC・Dの右申し出を許し、Bを一刻も早く大朝日小屋に収容するため、カッティングしながら前進を続けた被告人の行為は、法的にはまことにやむをえない行為と認めるのが相当であり、結局、右行為を以て過失行為と論ずることは出来ないというべきである。

山形地判昭和49年4月24日

として、CおよびDの状態、申し出と、Bの状態から、Bの救助を優先したするため中岳指導標付近でC及びDから離れ前進を続けたことに対する過失を否定しています。

このようにして、訴因である1~5の全ての過失を否定、犯罪の証明がなされていないとして無罪判決を下しています。

この事件は比較的古い裁判ではありますが、

  • 学校登山の事故において引率教員に対し刑事責任が問われることは大変稀であり裁判例も少ないこと
  • 起訴されながら無罪判決が下されていること

などから、今日においても貴重な裁判例であると思われ、ここで紹介しています。

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